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事象の地平線。 [子ども・家族のこと。]

 今日は父の四十九日法要。
 父が旅立ったあの日から、あっという間に時は過ぎゆき、この日を
迎えた。
 朝、父の小さくなってしまった亡骸を胸に抱き、家族で墓地に向け、
車で出発した。
 車は父の大好きだった多摩川の橋を渡り一路、小平へ。

 父さん、見える?父さんが大好きだった釣りのスポット「多摩川」
の橋を今渡ったよ…

 心の中でそう問いかける。
 ひどく切なさがこみ上げた。
 
 法要はひどく事務的で、石屋の担当のおじさんがいとも簡単に墓石
の下の厚みのある蓋を持ち上げ、お骨を奥へ納める。
 頼んでおいたお坊さんも何だかやる気なさげとくれば少々こちらも
苦々しく思うというものだ。「面倒くさい」と顔に書いてある。
 いよいよおざなりな読経が、それでも佳境にさしかかった時、ふと
思った。

 事象の地平線、という言葉がある。

 相対性理論とか物理学、とかその方面の言葉なのだけれども、「ブ
ラックホール」の中心点(特異点?)あたりに不思議な輪があって、
この輪の内側は完全に外の世界とは分離されていて、いったんその輪
の中に入ってしまうと二度とは戻れないそう。

 つまり、地平線の向こうで起こっていることは私たちには決して理
解し得ない、ということ。この「地平線」が前述の「不思議な輪」。
 何だか人間の生死に酷似してるんじゃないかってそう思わずにはい
られなかった。

 人の一生もこの「事象の地平線」即ち「死」を迎えると、どう目を
凝らしてもその先を見ることは叶わない。
 人は「惑星」。一見、宇宙を彷徨っているように見えても、いつか
必ずこの無限大のエネルギーを放出するブラックホールに向けて針路
をとらざるを得ないようになっている。
 いつかは全て「事象の地平線」に吸い込まれていく。

 人間だって宇宙に属するものだから、万物同じように同じ方向に行
くんじゃないかって。

 お坊さんの「心ここに非ず」と言った読経なんかよりも、自分で考
えついたこの思いの方が遙かに長けてしまって、一人考え込んでしま
った。
 周囲から見たらかなり「おかしい人」に見えたであろう。

 話が大きく逸れてしまったけれど、父の骨壺は一足早く地平線をま
たいだ父の兄の骨壺の横に静かに置かれた。
  
 無事にこの日を迎えることができてよかったと心から思う。
 父も、また私たちも物理的には少し離れて暮らすことになるが、あ
んな勝手な父ではあったけれど、地平線の向こうで私たちを守ってく
れていると信じられる。

 色々考えをめぐらすと「人の生と死」はとても不思議なこと。
 でも不思議でありながら、それらには全て法則があるのだと思い知
らされる。
 こんな深い思いを抱かせてくれた父にありがとう、という気持ち。
 人生を深く感じ取る、考えるための欠片をもらうことができた。

 こんな春めいた穏やかで、みんなが明日に希望を持てるような素敵
な日に法要ができて良かった。
 父さん、ゆっくり眠って下さい。
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