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故郷。 [雑記やら、愚痴やら、備忘録等々。]

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 寒い寒いと思っていたけれど、今日はまるで春めいた素敵な天候となった。
 三寒四温というけれど、これから3-4月にかけては寒暖を繰り返すような忙しいお天気が
多くなるだろう。

 ここのところ用事で世田谷に出かけることが多くなっている。
 本日一枚目の画像は午後から同じく世田谷へ出かける際、バスを待つ間に空を撮影した
もの。

 ケータイだからあまり画像はよくないけれど、写真で分かるようにとっても日差しが強く
なった!
 日差しだけだったらコートを着ていたら汗ばむほど。

 昼間の時間もだいぶ長くなってきて、確実に季節が変わりゆくことを肌で感じる。

 もうすぐ鶯も良い声を聞かせてくれることだろう。

 

 さて。

 今日のお題、「故郷」なんだけど。

 世田谷は私の故郷。
 
 この世に生を受けてから27歳の時まで住んでいた地だ。

 私がいたのは「弦巻」。

 
 最近用事があってよく出向くのが世田谷の上町付近。
 代官屋敷近くに野暮用で通っている。

 この上町も私の幼い頃、友達とよく遊んだ場所だった。
 上町はずっと風景が変わらない。
 玉電がトコトコやってきて、冬になると「ボロ市」が開催される。


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※世田谷通りを歩きながら上町を撮影。


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※可愛らしい玉電。正しくは「世田谷線」なのだが、地元の人はみんな古くから親しみを
込めて「玉電」と呼ぶことが多い。
(昭和30年代ぐらいまでなのかな、渋谷から玉川…現在の二子玉川 までを結んでいた
電車があったのだが、その電車が玉川電車という名称だったらしく、「タマデン」はその
名残なのでしょう)


 私の住んでいた弦巻は最寄り駅とすれば田園都市線の「桜新町」駅だった。
 当時の自宅からは上町へ出るよりも桜新町の方が全然近かったから。

 けれど、今、桜新町は大きな変貌を遂げてしまって昔の面影は殆どない。
 だから何となく寂しさもあり親しみを感じられなくなってしまった。

 そこへ行くとこの「上町」は古き時代をそのまま今にとどめていて、自分が小さかった頃
の世田谷を満喫することができる。

 こういう街は貴重で、「再開発」という名の下に原形をとどめないような乱開発がなされ
てどんどんと減ってきているけどね…。
 
 いつもはボロ市通りの代官屋敷までは田園都市線の桜新町駅から歩いたりしていたんだけ
ど、今日はちょっと家を早く出て小田急線の豪徳寺(玉電の駅名は「山下」)経由で上町へ
出た。

 上町は知る人ぞ知る、隠れた名店が多いことでも有名だ。
 一見さんにはちょっと敷居が高いような店もあるけれど、下北沢みたいに古くて汚くて面
白い店ばっかり。

 帰りもまた玉電に乗って山下(豪徳寺)へ。
 これぞ、まさにレッツ豪徳寺(ごうとくじ)である。
※昔、この名前の少女漫画があったのだ。

 しばらくぶりで豪徳寺の駅前を一人で散策。


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※昔ながらの商店街。でも心なしかちょっと閉まっている店も多くなっているようで寂しい雰囲気だった。

 
 世田谷はアンケートを採ると必ず「セレブ」だとか「金持ちの街」とかいうイメージが
上位にくるのだそうだ。

 確かに成城学園前あたりや瀬田、二子玉川なんかだとそういう方々がお住まいの街、
なのだろうが、ここ上町や豪徳寺、赤堤なんてもう本当に昔ながらの「下町」って感じ。

 この下町風味な世田谷が私は大好きだ。

 世田谷を離れて早16年か…。
 今はほかの街に住んでいるけれど、またほかの街を知って改めて世田谷を歩くと住んでいた頃では分からなかった世界が広がる。
 これもまた楽しいもの。


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