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生きる、ということ。 [雑記やら、愚痴やら、備忘録等々。]


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 慌ただしい年の瀬。
 クリスマスも終わり、後は新年を迎えるだけになった。

※今日の画像は我が家の近く、多摩丘陵をバックに横浜市・こどもの国の駅舎の12月を写したもの。こどもの国線は2両で走るローカル線。駅も小さく趣がある。


 今年は年賀状も発売当日に入手し、その殆どの作業を11月中に終え、何年かぶりで12/15の年賀状受付初日に投函。
 すっばらしぃ。このモノグサなアタクシにしては上出来である。

 しかし、我が家としてはかなりの数の年賀状だった。
 親の方が約80枚、子ども達が各々30枚ずつ。
 年賀状の出費も馬鹿にならんですな。

 年の瀬が近づくと昨今、問題になるのが年末年始に仕事や家がなく外で過ごさざるを得ない人々の話題。

 ホームレスの人の話がどこかに掲載されていたが、今の政権になってから自民党政権の時よりも仕事がなくなってしまった、という。「週に2度の炊き出しで何とか命をつないでいる」と書いてあったが、今のこの混沌とした情勢、一体これからどうなっていくのだろう。
 我が家は東急田園都市線の沿線に居を構えているが、最近自分の携帯に届くi-コンシェル速報で「人身事故により運転見合わせ」の何と多いことか。
 つい先日も三軒茶屋で人身があり、かなりの時間見合わせとなって恐らく年の瀬と言うことも相まって大変な数の人々の足が止められたことだろう。

 自殺大国、ニッポン。

 自殺者が3万人を超そうというのに、政治はまるでどこの党も取るに足らないことを論って、子どものケンカよろしく国民の情勢や生活など眼中にもない。

 朝日新聞にここのところ掲載されている「孤族」というシリーズ。
 家族もおらず、一人孤独に亡くなっていく人々のドキュメンタリー。
 毎日読んでいるが、救いようの無い気持ちでいっぱいになる。

 気づいたら車の中で亡くなっていて、結構な人通りの中にその車が存在するにもかかわらず、数ヶ月するまで誰も気づかなかった…、ようやく発見されたが身寄りが誰も居ない。遺骨を引き取る人がいない。
 こんな悲しい事実があちこちから出てくること自体、異常と言わざるを得ない。

 身よりもない。
 仕事もない。
 お金もない。
 
 こうした理由から死を選んでしまう。

 やりきれなさすぎる。
 
 何が「国民の生活が一番」だ?!
 え?民主党さん。
 寝言は寝ていえ。

 他方、若い人たちの就職活動も年々、厳しさを加速度的に増していて4年制大学を卒業予定なのに60社回っても内定がとれず、途方に暮れている学生さんの話題を眼にした。
 まずもって面接までもたどりつけないのだそうだ。
 書類選考で落とされてしまう。
 60社も駄目で、どんなにか自信を喪失したことだろう。

 本当に困っている人間の気持ちが今の政治家に少しでも分かる人間がいるのか。
 官僚が全て裏で実権を握っているとするならば、そしてそうした悪しき慣習がこれからも崩せないというならば政治家など全て一掃すればよい。政治家が例え居眠りこいても国会にいる限り大層な給与が支払われるのだから。全て高級官僚が手綱を握ってやればいいじゃないの。何でも好き勝手に。
 
 居眠りこいてもウン千万という給与を手にし、毎日高級割烹で左利きですかい?
 国民の血税で贅沢三昧。
 やめられんでしょうなぁ。

 かたや、寝る間も惜しんで働いても満足に食事を得られない人間も数多くいるというのに。
 美しい国、ニッポン。

 上の子どもがもう来年は中3になる。
 イヤでも大学までが視野に入ってくる(中学3年までがあっという間なのだから大学までもあっという間だろう)。
 でも何とか大学を出ても果たして就職ができるのか…。
 不安で不安でたまらない。

 弱い立場にある者たちにどうかもう少し日の当たる政治をやってほしい。
 それが政治家だろうが。

 少なくとも今、子どもの世代である者達に生きていく夢を全てつぶすようなことだけはしなさんなよ、と言いたくなる。
 何を支えに生きていけばいいのか、子ども達だってこんな世の中にその答えを見いだすことはできはしない。
 
 日本が病んでいる。
 そのしわ寄せはすべて弱者のものだ。
 あまりにもやりきれない。
 

 
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