兄妹バトル。 [子ども・家族のこと。]
風邪も治りきらず、ボジボジと過ごす今日この頃。
夕方になってくると何となく寒気がして熱が上がる。これってなんすか?
木の芽時にひきこむ風邪ってほんと、しつこい。どうも3月は鬼門だ。
そんな中、今日は珍しく兄妹喧嘩が勃発。
客観的に見ていると今日のところはプッコさんが自己中心的だったように思えるが、日頃これ以上ないほどの温厚なオッサンがプッコさんと口論となり、腹を立てた挙げ句、「勝手にしろっ!」と怒鳴り、壁をボカッと殴って家を出て行ってしまった。
※オッサンが怒鳴ること自体、非常に珍しいことなのだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
小さい頃から兄妹の仲は非常に良好だった。何もしないダメ親に成り代わり、兄は妹の世話を一生懸命やってきたし妹も優しい兄の後をずっと追ってきた。但し、妹の方はかなり自我が強いため兄に対して遠慮がない。すぐに手が出る、口が出る。それでも兄はやり返すこと一切なく、黙って耐え続けてきた。
どんな時でも二人は一緒だった。穏和な兄ちゃんに甘えん坊の妹。
私自身にも兄がいるが、その兄とはあまり接点がないまま今に至ってしまったので、オッサンとプッコさんを見ていると「兄妹っていいなぁ」と本当にそう思っていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
すぐにプッコさんが後を追いかけたものの、どこにもいない。
携帯も置いて行ってしまったし、上着も持たずどこへ行ったのだろう…
心配ばかりが募る。
再度プッコさんが兄ちゃんを捜しに行く。
1時間ほど経った頃、プッコさんがオッサンを連れて帰宅した。
「何やってたの?心配したじゃんか!」
「ごめん…」
「どこにいたの?」
「少し離れたところの公園で座ってた」
「上着も着ないで!風邪引いちゃうじゃないの」
オッサンは大人になろうとしてもがいている思春期突入の年頃。
一方、まだプッコさんの方はまだまだ邪気の残る女の子。
二人の価値観が少しずつではあるが確実に違う道を歩き始めているのだ。
いい機会だと思って二人を座らせ膝を交えて話をした。
オッサンの気持ちをよくよく聞いてみると、
「プッコにいくら真剣に話をしようとしても逆ギレしたり、茶化されたりしてすごく嫌な気持ちだった。こっちが真剣に話している時には真剣に聞いてほしい」
ということらしい。
もっともな話ではある。
しかし、プッコさんだって自分が悪いことをしてしまった時にははきちんと自覚しているのだ。自覚しているだけにそれを指摘されることによって恥ずかしい気持ちが生じ、それをごまかそうとするから逆ギレする。また、どこかには「認めてたまるか!」という気持ちもあることだろう。
家族だってお互いを思いやる気持ちが根底には必ずなくてはならない。
誰もが「自分が自分が」とやれば荒涼とした家庭になってしまう。
自分の弱さを素直に認める。
相手の立場を理解する。
自分のすべき事をきっちりと遂行する。
自分に厳しく他人に優しく。
こんな事柄が頭に浮かぶが、自分だってなかなかこんなことはできない訳でどこか空々しい。
だから「縁あってみんな家族になったわけだ。だからみんなが少しずつ努力することで楽しく過ごしていくことが大切だと思うけど?」という言葉をかけてみたものの、自分的にもあまり納得がいかない。
そもそも子どもが二人いるとそのどちらかの肩をもつことができず、どっちつかずになってしまう。
子どもは自分自身が「今回は自分が悪いかも」と思っていても、親が一方の肩を持つことでひねくれてしまう。
そういう観点から行っても今日の話し合いでは、子どもたちの心の琴線に触れるような言葉掛けをしてやることができなかった。
非力な自分。
子育ては自分育て、とは良く言ったもので、今更ながらにこの言葉が重くのし掛かる。
なかなか、子どもたちの望むような答えは出してやれないが、それでも共に考えてやるという姿勢だけは崩したくないと思う。
たまにしか喧嘩しない子どもたちだけに、今回の騒動はかなり「割り算のあまり」的な宿題を残してしまった。
いつまでも、できの悪い親でやんなるよね、自分がね。
夕方になってくると何となく寒気がして熱が上がる。これってなんすか?
木の芽時にひきこむ風邪ってほんと、しつこい。どうも3月は鬼門だ。
そんな中、今日は珍しく兄妹喧嘩が勃発。
客観的に見ていると今日のところはプッコさんが自己中心的だったように思えるが、日頃これ以上ないほどの温厚なオッサンがプッコさんと口論となり、腹を立てた挙げ句、「勝手にしろっ!」と怒鳴り、壁をボカッと殴って家を出て行ってしまった。
※オッサンが怒鳴ること自体、非常に珍しいことなのだ。
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小さい頃から兄妹の仲は非常に良好だった。何もしないダメ親に成り代わり、兄は妹の世話を一生懸命やってきたし妹も優しい兄の後をずっと追ってきた。但し、妹の方はかなり自我が強いため兄に対して遠慮がない。すぐに手が出る、口が出る。それでも兄はやり返すこと一切なく、黙って耐え続けてきた。
どんな時でも二人は一緒だった。穏和な兄ちゃんに甘えん坊の妹。
私自身にも兄がいるが、その兄とはあまり接点がないまま今に至ってしまったので、オッサンとプッコさんを見ていると「兄妹っていいなぁ」と本当にそう思っていた。
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すぐにプッコさんが後を追いかけたものの、どこにもいない。
携帯も置いて行ってしまったし、上着も持たずどこへ行ったのだろう…
心配ばかりが募る。
再度プッコさんが兄ちゃんを捜しに行く。
1時間ほど経った頃、プッコさんがオッサンを連れて帰宅した。
「何やってたの?心配したじゃんか!」
「ごめん…」
「どこにいたの?」
「少し離れたところの公園で座ってた」
「上着も着ないで!風邪引いちゃうじゃないの」
オッサンは大人になろうとしてもがいている思春期突入の年頃。
一方、まだプッコさんの方はまだまだ邪気の残る女の子。
二人の価値観が少しずつではあるが確実に違う道を歩き始めているのだ。
いい機会だと思って二人を座らせ膝を交えて話をした。
オッサンの気持ちをよくよく聞いてみると、
「プッコにいくら真剣に話をしようとしても逆ギレしたり、茶化されたりしてすごく嫌な気持ちだった。こっちが真剣に話している時には真剣に聞いてほしい」
ということらしい。
もっともな話ではある。
しかし、プッコさんだって自分が悪いことをしてしまった時にははきちんと自覚しているのだ。自覚しているだけにそれを指摘されることによって恥ずかしい気持ちが生じ、それをごまかそうとするから逆ギレする。また、どこかには「認めてたまるか!」という気持ちもあることだろう。
家族だってお互いを思いやる気持ちが根底には必ずなくてはならない。
誰もが「自分が自分が」とやれば荒涼とした家庭になってしまう。
自分の弱さを素直に認める。
相手の立場を理解する。
自分のすべき事をきっちりと遂行する。
自分に厳しく他人に優しく。
こんな事柄が頭に浮かぶが、自分だってなかなかこんなことはできない訳でどこか空々しい。
だから「縁あってみんな家族になったわけだ。だからみんなが少しずつ努力することで楽しく過ごしていくことが大切だと思うけど?」という言葉をかけてみたものの、自分的にもあまり納得がいかない。
そもそも子どもが二人いるとそのどちらかの肩をもつことができず、どっちつかずになってしまう。
子どもは自分自身が「今回は自分が悪いかも」と思っていても、親が一方の肩を持つことでひねくれてしまう。
そういう観点から行っても今日の話し合いでは、子どもたちの心の琴線に触れるような言葉掛けをしてやることができなかった。
非力な自分。
子育ては自分育て、とは良く言ったもので、今更ながらにこの言葉が重くのし掛かる。
なかなか、子どもたちの望むような答えは出してやれないが、それでも共に考えてやるという姿勢だけは崩したくないと思う。
たまにしか喧嘩しない子どもたちだけに、今回の騒動はかなり「割り算のあまり」的な宿題を残してしまった。
いつまでも、できの悪い親でやんなるよね、自分がね。
2010-03-31 17:58
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