アニバーサリー 〜anniversary〜 [子ども・家族のこと。]
本日はゴマジさん事、京佑の誕生日。略してゴマ誕(なんだそら)。
なんと!13回目の誕生日である。
とは言いつつも、何だか遙か昔のような、つい先日のような不思議な感覚
だ。
ゴマジさんが生まれた日は11月としてはかなり暖かい日だったっけ。午前
3時過ぎに産気づき、先生からは「早くても夕方だね〜」と言われたものの、
午前10時過ぎにご誕生。痛くて痛くて死ぬかと思ったあの瞬間も今は遠い彼
方の出来事のようだ。
彼はその3年後には「妹」を連れてきた。
子どもが欲しくて欲しくて、でもなかなかできなくて不妊治療の限りを尽く
し、自然妊娠など不可能であろうと思っていた私たち夫婦に二人目の子どもも
できた。きっと寂しがり屋のゴマジさんが連れてきたのだろう。
二人目の子ども、薫音。小さくて可愛い女の子。その薫音を妊娠した時の出
産予定日が11月17日でなんと兄の京佑と同じ日だった。なんという偶然。否、
偶然ではなく、ゴマジが連れてきたのだろう、と確信できた。
※薫音の実際の誕生日はゴマジさんと丸々1週間違いの24日になってしまっ
たのだが…(^_^;。
しかしながら、子どもを持ってからは単純に「幸せ」とばかり言えなくて、
辛くて辛くてたまらない時も数々あった。ことに京佑は生まれてすぐに口唇口
蓋裂ということが判明し、この13年間の歴史はその治療と共にあった。
不妊に苦しんでいた時には「子どもを持つこと」は幸福のシンボルに他なら
なかった。なのに、実際に子ども二人を育てることは言葉に言い尽くせぬ程の
苦労を伴うことでもあった。
育児の大変さ、生活スタイルの変化、京佑の通院や手術…私自身、どれもが
たどたどしく、迷い迷い、考え考え、それこそよちよち歩き始めの子どものよ
うにしか行動ができずにいた。子ども達からしてみれば私はまだまだ母親とし
ては合格点にほど遠いことと思う。
それでも13年。彼は立派に成長してきてくれたと思う。この情けない親を前
にしてそれが反面教師になったのだろうか、彼は精神的にも逞しく真っ直ぐな
道を歩いてきてくれた。どうか、これからもただただ真っ直ぐに伸びて欲しい。
子育てはまさにパンドラの箱。一度開けてしまったらもう元には戻らない。
色々な苦労や苦難もあったけれど、それでも私はこの「箱」を開けられたこ
とを神に感謝するのみだ。
ダメダメな私に神様が「あんた、このぐらいは苦労しなさいよ」と言ってく
れたことと思う。「その苦労の先には今まで見えずにいた景色が見えるはずだ
よ」と。
今日はもう一つとても嬉しいことがあった。
それは川崎病の解明が進んだ、ということ。
詳細は
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091117-00000758-yom-sci
こちら。
薫音が5歳だった頃に罹ってしまった川崎病。一時は命が危ないと先生に
言われるほど、心臓の冠動脈が腫れてしまい、今でもその記憶が飛んでしま
うほどだったが、先生方の的確な治療で一番怖いとされる後遺症を一切残す
ことなく回復した。
川崎病は今までその原因が解明できない難病とされ、薫音はガンバブログ
リン療法を行って快癒したが、患者によってはガンマが効かない場合もある
と聞いていた。それはやはり原因が突き止められないが故、ピンポイントな
薬が発見できないということもあったのではないか。今回順天堂大学の研究
チームがその原因をほぼ突き止めたということで、その療法についても光明
が射してきたのだと言う。
嬉しかった!京佑の誕生日に薫音の曾ての病についての朗報が届くなんて、
本当に素敵なこと。
親は色々なことを子どもに期待しては落胆したり、喜んだりするこの上な
く愚かな生きものだ。でも、原点に立ち戻って考えれば、何より「健康な体」
があってこその人生。健康な体なくしては何も成し得ない。
二人とも、どうか元気でそして真っ直ぐな人に。
これが今私の一番の切なる願いだ。
なんと!13回目の誕生日である。
とは言いつつも、何だか遙か昔のような、つい先日のような不思議な感覚
だ。
ゴマジさんが生まれた日は11月としてはかなり暖かい日だったっけ。午前
3時過ぎに産気づき、先生からは「早くても夕方だね〜」と言われたものの、
午前10時過ぎにご誕生。痛くて痛くて死ぬかと思ったあの瞬間も今は遠い彼
方の出来事のようだ。
彼はその3年後には「妹」を連れてきた。
子どもが欲しくて欲しくて、でもなかなかできなくて不妊治療の限りを尽く
し、自然妊娠など不可能であろうと思っていた私たち夫婦に二人目の子どもも
できた。きっと寂しがり屋のゴマジさんが連れてきたのだろう。
二人目の子ども、薫音。小さくて可愛い女の子。その薫音を妊娠した時の出
産予定日が11月17日でなんと兄の京佑と同じ日だった。なんという偶然。否、
偶然ではなく、ゴマジが連れてきたのだろう、と確信できた。
※薫音の実際の誕生日はゴマジさんと丸々1週間違いの24日になってしまっ
たのだが…(^_^;。
しかしながら、子どもを持ってからは単純に「幸せ」とばかり言えなくて、
辛くて辛くてたまらない時も数々あった。ことに京佑は生まれてすぐに口唇口
蓋裂ということが判明し、この13年間の歴史はその治療と共にあった。
不妊に苦しんでいた時には「子どもを持つこと」は幸福のシンボルに他なら
なかった。なのに、実際に子ども二人を育てることは言葉に言い尽くせぬ程の
苦労を伴うことでもあった。
育児の大変さ、生活スタイルの変化、京佑の通院や手術…私自身、どれもが
たどたどしく、迷い迷い、考え考え、それこそよちよち歩き始めの子どものよ
うにしか行動ができずにいた。子ども達からしてみれば私はまだまだ母親とし
ては合格点にほど遠いことと思う。
それでも13年。彼は立派に成長してきてくれたと思う。この情けない親を前
にしてそれが反面教師になったのだろうか、彼は精神的にも逞しく真っ直ぐな
道を歩いてきてくれた。どうか、これからもただただ真っ直ぐに伸びて欲しい。
子育てはまさにパンドラの箱。一度開けてしまったらもう元には戻らない。
色々な苦労や苦難もあったけれど、それでも私はこの「箱」を開けられたこ
とを神に感謝するのみだ。
ダメダメな私に神様が「あんた、このぐらいは苦労しなさいよ」と言ってく
れたことと思う。「その苦労の先には今まで見えずにいた景色が見えるはずだ
よ」と。
今日はもう一つとても嬉しいことがあった。
それは川崎病の解明が進んだ、ということ。
詳細は
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091117-00000758-yom-sci
こちら。
薫音が5歳だった頃に罹ってしまった川崎病。一時は命が危ないと先生に
言われるほど、心臓の冠動脈が腫れてしまい、今でもその記憶が飛んでしま
うほどだったが、先生方の的確な治療で一番怖いとされる後遺症を一切残す
ことなく回復した。
川崎病は今までその原因が解明できない難病とされ、薫音はガンバブログ
リン療法を行って快癒したが、患者によってはガンマが効かない場合もある
と聞いていた。それはやはり原因が突き止められないが故、ピンポイントな
薬が発見できないということもあったのではないか。今回順天堂大学の研究
チームがその原因をほぼ突き止めたということで、その療法についても光明
が射してきたのだと言う。
嬉しかった!京佑の誕生日に薫音の曾ての病についての朗報が届くなんて、
本当に素敵なこと。
親は色々なことを子どもに期待しては落胆したり、喜んだりするこの上な
く愚かな生きものだ。でも、原点に立ち戻って考えれば、何より「健康な体」
があってこその人生。健康な体なくしては何も成し得ない。
二人とも、どうか元気でそして真っ直ぐな人に。
これが今私の一番の切なる願いだ。
2009-11-17 20:25
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